<たかぎとしこ言葉集>

ご生前のたかぎとしこさんの言葉を集めました。

著書「うめぼしすっぱいな」(2003)より

(まえがきより)

私は、大人になってわらべうたに再会し、以来30余年、 わらべうたと寄り添いながら歩んできました。 最初はわらべうた自身の素朴さとシンプルな美しさに魅了され、うたい遊んできましたが、やがて歳月を重ねるほどに、もっともっと大きくて奥深いわらべうたの懐の中で、人々と一緒に、 輪になって遊び和する幸せを感じるようになりました。

わらべうたは時代や空間をこえて、古くは数百年も昔から、 子どもから子ども、 大人から子どもへと、脈々と手渡され、 変遷をくり返しながら今日まで伝承されてきました。 温もりと共に届けられる‘ご先祖さまの贈りもの’。 これからも私たち庶民の暮らしの中で、どこか同じ景色を共有しながら、 時代を映しながら、 継承され、 また新しく生まれ続けていくことでしょう。

(中略)

 

なお、個々のわらべうたの遊び方については、多くを書きませんでした。読者の中の実践者が、わらべうたを届ける目の前の相手にあわせて柔軟に対応されながら、自由にふさわしい遊び方を工夫してほしいと願うからです。 その参考として、この本に記した遊び方例を大いに活使用してくださると嬉しく思います。 昔ながらの遊び方 (文化)を伝承する重要性もあるかと思われますが、何よりも大切なことは、 子どもたちが本当に心から  わらべうた遊び  'を楽しめる場を与えてあげること。 そのための創意工夫や、大人自身がわらべうたを無邪気に体感することは、わらべうたを確かに受け継ぐためにも、 とても大切なことだと思います。 総じて、 押しつけたり型にはめこまない 遊びの自由さ 'こそ、わらべうたの魅力であり、絶えることのないわらべうたの生命力のみなもとであると私は信じております。

 

子どもたちは、本能的と思われる自然さでわらべうたの懐にとびこみ夢中になって遊びます。子どもだけでなく、ちょっと前に子どもだった私たち大人の心根にも、ちゃんと 子ども性 '

は潜んでいるように思います。 そんな心の小窓を少しずつ開けて、各人が持ち合わせる限りの想像力をふくらませながら、わらべうたの懐の中で、自由に遊びたわむれてみませんか。

 

平成15(2003)年 4月 たかぎ としこ

 

 

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☆ わらべうたは聞き耳頭巾?

“ききみみずきん” という昔話がありました。 その頭巾をかぶると、鳥のさえずりも、木々のざわめきも、みんなの共通の (人の) ことばで聞きとることができ、 たくさんの幸せを授かったというお話。そんな“聞き耳頭巾" にあこがれ、 あったらいいなぁ~と夢ふくらませた方は多いことでしょう。

 

先日、初めての保育園で、 12才児とわらべうたをしました。 3曲くらい歌い遊んで、 最後に子守歌をうたい 20分くらいがあっという間に過ぎました。 そして、終わった後のことです。 15.6人の子どもたちは、しばらくしーんと静まりかえっていました。 ぼぉ~っと安らぎの中に浸っているようでもあり、また、清々しい、どこか凛とした空気が漂っているようにも感じられました。後で園長先生が「あのこたちは、確かに、どこか別の世界へ行っていたようですね」と言われ、さらに「私も、久しぶりに、穏やかな気持ちになりました」 と続けられました。

 

数百年もうたい継がれてきたわらべうた、そのうたの中には、あらゆる生命が躍動しています。 その言葉は、生きる喜びと自然に対する畏敬と愛に満ちているかのようであり、幼い子どもは、その本質を直感的に受けとめ、差し出す人のふところに体当たりで飛び込んできます。長い間、子どもたちとわらべうた遊びをしてきた私ですが、いつのまにか初対面でも、わらべうたを歌いかけると、たちまち緊張がほどけ、信頼のまなざしと共に一緒に遊んでくれることが多くなりました。 また、赤ちゃんに子守歌をうたう時なども、にっこり微笑んでくれたり、身体のちょっとした動きで、心が響き合えたと嬉しく感じられるようになりました。 私にとって、わらべうたは子ども世界へと渡る架け橋'のようであり、 聞き耳頭巾 のようなありがたいものです。

 

私たちの世界には限りない不思議が内在しています。 子どもたちのまなざしや瞳の奥から、花や風や空の雲から、野山や海や夕日から、 そして夜空の月や星の向こうから感じられる大いなる世界は確かにあるようです。 そして、子どもたちの大いなる世界に対する感性の豊かさは大きくて深く、 計りしれません。 どの子どもも、ひとりひとつの小宇宙を心の内に抱いて生まれてくるからでしょう。その子なりの時間、その子なりの行動のテンポやリズムを持った・・・。

 

少し前に、 5才の女の子が 大阪じゃんけん負けるがかちよ という歌を教えてくれました。

また、鹿児島には“せっせっせ さらりとせという勝ち負けにそんなに固執しないじゃんけん遊びが伝わっていることも知りました。 大人が勝ちをあおりさえしなければ、子どもたちは、勝ちも負けもそれなりの価値や役割をもったものであって、必ずしも良い悪いの二択とは一致しない、それぞれの解釈をさらりと心に描いているのでしょうね。 仲間との楽しいじゃんけん遊びの輪の中で。

 

もしかしたら逆に、“聞き耳頭巾”をつけた時、 子どもたちは、その澄んだ瞳に、純真で率直なことばを通して、 私たち大人の心を映してくれているのではないでしょうか。

 

平成13 (2001) 年 11月  たかぎ としこ